聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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イースター礼拝のお話の部分だけの動画はこちらです。https://youtu.be/86XyX-RUTM0
イースター聖餐式の動画をアップしました。https://youtu.be/oDwhi3MdhWY
2021年3月28日
復活前主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書212ページ
旧約聖書 イザヤ書 45:21-25
詩編 22:1ー11
使徒書 フィリピの信徒ヘの手紙 2:5-11
福音書 マルコによる福音書 15:1-39

<今週のメッセージ>
「彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。」(イザヤ書 53:5)
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マルコ15:34 詩篇22:2)
今週はイエスの十字架上の死が現実となる受難週。今日の第一朗読・旧約聖書はイザヤ書が与えられています。イザヤ書には4つの所謂「苦難の僕」の歌と言われる記述があります。その中で最も長い記述が今日の箇所(52:13-53:12)です。この「苦難の僕」が誰であるかには諸説がありますが、わたしたちにとっては主イエスご自身の姿に他なりません。「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。」(イザヤ53:4)福音書はそれぞれに イエスのゲッセマネでの苦悩に満ちた祈りを伝えています。イエスは「この苦しみの時が自分から過ぎ去るように祈り…"アッパ゜、父よ、・・この杯をわたしから取り除けてください。」これほどの苦しみをイエスは身に受けて祈られます。イザヤが語る「苦難の僕」の姿そのままにイエスは十字架につけられています。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」とまで叫ばなければならないほどの苦しみを経験されています。わたしたちと世界が彼に負わせた苦しみは、いかに大きく重い苦しみであることか。しかし、イエスはその苦しみのギリギリの淵に立って、絶望してはおられない。彼はなぜ、と叫びたくなる現実を前にして「わが神、わが神」と呼びかけています。父なる神への望みを見失ってはおられない。この姿に今を生きているわたしたちは新しい命への希望と勇気を得ている者たちに他なりません。十字架を経た復活の朝がわたしたちにもたらされますように祈ります。(司祭バルナバ 関 正勝)
2021年3月21日
大斎節第5主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書211ページ
旧約聖書 エレミヤ書 31:31-34
詩編 51:10ー15
使徒書 ヘブライ人ヘの手紙 5:5-10
福音書 ヨハネによる福音書 12:20-33

<今週のメッセージ>
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか.『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。『父よ、御名の栄光を現してください。』」ヨハネによる福音書12:27
 悲惨な運命を受け入れる時に、わたしたちはどういう反応をするでしょうか?①そんな運命など見ないことにする。②そんな運命があることに憤る。③何とか回避できないか模索する。④嫌々ながら、受け入れていく、などなど。イエスさまは、そういうわたしたちがする反応を心の中ではしながらも、実際には全然違う対応をされていかれたのでした。やってくる運命の現実は何ら変わりません。でも、それに対するこちらの気持ちの持ちようや態度は変えられることを示してくださったのです。神様を信頼し、神様のみ心に委ねていく。苦しみも悲惨な運命も、神様と共に受け止めていくとき、苦しみは無駄なものではなくなり、神様の栄光が現され、希望さえも見えてくることを示してくださったのです。運命を使命として受け止めていくとき、悲惨な運命の悲惨さは隠れ、どうしようもない運命として受けるというよりも、これは神様にとっても自分にとっても、そして多くの人々にとっても大きな意味を持つものに変わっていくのだと信じて、それを担っていかれたのでした。わたしたちは弱く、なかなか同じようには立ち向かえないかもしれません。でも、わたしたちがイエスさまと心を繋げようとしていくときに、その大変さをわかってくださっているイエスさまが共に支え、勇気や希望を与えてくださることを信じていきたいと思います。(司祭 シモン・ペテロ 上田憲明)
[My聖ルカ] ルカのオルガニスト高橋博子さんの「患者さんのためのオルガンアワー」を聞きながら眺めている風景。(KS)
#My聖ルカ
[My聖ルカ] 礼拝堂の下にある謎の階段。(KS)
#My聖ルカ
2021年3月7日
大斎節第3主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書211ページ
旧約聖書 出エジプト記 20:1-17
詩編 19:7ー14
使徒書 ローマの信徒への手紙 7:13-25
福音書 ヨハネによる福音書 2:13-22

<今週のメッセージ>
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」「わたしは主、わたしは熱情の神である。」(出エジプト 20:2、5)
奴隷となっていたイスラエルの人々はモーセに導かれてエジプトを脱出します。その途上でかれらはシナイ山で神から十戒を授かります。彼らに与えられた十戒は「神以外の存在を礼拝しない・すなわち偶像を礼拝しない」ことを中心としたものでした。イスラエルに対する神の厳しい戒めは、その命令を彼らに要求する神はどのような存在であるかを明らかに語っています。命令の根拠はすなわち「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトから導き出した神である。」と。彼らに律法への従順を求める神は他でもない彼らイスラエルをエジプトから解放し民としての尊厳をもたらした神である、と宣告されています。ただただ命令し人々に服従(?)盲従(?)を要求するのは暴君に他ならないでしょう。しかし、ここに語られる神はイスラエルを解放し自由をもたらす神であることが語られています。そして同時にその神は「熱情の神」であると告白されています。この表現は「妬みの神」(中沢訳イザヤ59:17 嫉妬する神REB)など多様に訳されています。人々を解放し人間としての自由・尊厳を回復されようとして歴史の中で働いておられる神は静寂中に留まっておられる方ではなく、神の働きを地上に引き継ぐ「神の像」・「協働創造者」としてのわたしたち人間と共に働かれる方です。その働きの姿は、わたしたちを愛することにおいて注がれ続ける「熱情」であり、わしたちの心定まらないで右往左往する姿勢に対する激しく「嫉妬」し、「妬む」神として表現されております。エジプトの過酷な枷を打ち破り、約束の地へと解放する神・「熱情の神」の働きは、今日の福音書ヨハネ2:13以下のイエスによる「宮清め」の出来事とも関連して語られています。時はエジプトからの解放を祝う過越し祭のエルサレム。その神殿での人々の振る舞いに怒られ、激しい行動をとられています。神の正に「熱情」が示された行動でした。神の「熱情」が、古き慣習や習慣からわたしたちが決別し、新しいわたしたちを誕生させるために激しくわたしたちに注がれていることを恐れ慄きながら信じて歩んでまいりたいものです。(司祭 バルナバ 関 正勝)
チャペルの方しゅろの十字架の作り方を動画で教えてくださいました。
https://youtu.be/Y7u4LADyYiw
[My聖ルカ] 道路から礼拝堂に上がる階段。(KS)
#My聖ルカ
[My聖ルカ] 数年前「十字架の道行き」のために病院、大学、チャペルの皆さんに声かけて漢字でイエスさまの受難物語の14場面を表せていただきました。今年も展示中。(KS)
#My聖ルカ

聖路加国際大学のチャペルで礼拝する聖ルカ礼拝堂の公式ページ
Official FB page of St. Luke's Chapel, the worshipping community of the St. Luke's International University chapel

通常通り開く

Timeline Photos 07/08/2021

https://www.facebook.com/St.LukeOrgan/photos/a.266559903354983/6300059660004947

【夕の祈り中止のお知らせ】

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、たいへん残念ですが9月1日(水)および10月6日(水)の「夕の祈り」を中止いたします。何卒ご了承ください。

聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂オルガン委員会

12/04/2021

【夕の祈り中止のお知らせ】

新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言が解除されひと月以上経ちますが、感染者数はおさまらず医療現場は依然としてひっ迫した状況です。日本聖公会東京教区の公祷*の休止も続いております。そのため、5月5日(水)の「夕の祈り」は中止といたします。

今後は、再開が決まった際に当Facebookなどでお知らせいたしますので、ご確認ください。どうぞよろしくお願いいたします。

聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂オルガン委員会

*公祷……日本聖公会祈祷書によって行われる礼拝のことで、夕の祈りもそれにあたります。

復活日説教  イースターおめでとうございます 04/04/2021

復活日説教  イースターおめでとうございます

イースター礼拝のお話の部分だけの動画はこちらです。https://youtu.be/86XyX-RUTM0

復活日説教  イースターおめでとうございます 復活日のための礼拝録画のアップロードがとてつもなく時間がかかっていますので、ケビン司祭のお説教の部分だけ、先行で公開いたします。ご理解いただけると助かります。今日の終わりまでには、礼拝もアップロードで...

2021年 4月4日 イースター礼拝動画 04/04/2021

2021年 4月4日 イースター礼拝動画

イースター聖餐式の動画をアップしました。https://youtu.be/oDwhi3MdhWY

2021年 4月4日 イースター礼拝動画 イースターおめでとうございます! お待たせしました。礼拝全体の動画を編集してくださいました。一緒には集まれなくて残念ですが、せめて動画を見ながら、繋がりましょう。

[03/27/21]   2021年3月28日
復活前主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書212ページ
旧約聖書 イザヤ書 45:21-25
詩編 22:1ー11
使徒書 フィリピの信徒ヘの手紙 2:5-11
福音書 マルコによる福音書 15:1-39

<今週のメッセージ>
「彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。」(イザヤ書 53:5)
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マルコ15:34 詩篇22:2)
今週はイエスの十字架上の死が現実となる受難週。今日の第一朗読・旧約聖書はイザヤ書が与えられています。イザヤ書には4つの所謂「苦難の僕」の歌と言われる記述があります。その中で最も長い記述が今日の箇所(52:13-53:12)です。この「苦難の僕」が誰であるかには諸説がありますが、わたしたちにとっては主イエスご自身の姿に他なりません。「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。」(イザヤ53:4)福音書はそれぞれに イエスのゲッセマネでの苦悩に満ちた祈りを伝えています。イエスは「この苦しみの時が自分から過ぎ去るように祈り…"アッパ゜、父よ、・・この杯をわたしから取り除けてください。」これほどの苦しみをイエスは身に受けて祈られます。イザヤが語る「苦難の僕」の姿そのままにイエスは十字架につけられています。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」とまで叫ばなければならないほどの苦しみを経験されています。わたしたちと世界が彼に負わせた苦しみは、いかに大きく重い苦しみであることか。しかし、イエスはその苦しみのギリギリの淵に立って、絶望してはおられない。彼はなぜ、と叫びたくなる現実を前にして「わが神、わが神」と呼びかけています。父なる神への望みを見失ってはおられない。この姿に今を生きているわたしたちは新しい命への希望と勇気を得ている者たちに他なりません。十字架を経た復活の朝がわたしたちにもたらされますように祈ります。(司祭バルナバ 関 正勝)

[03/21/21]   2021年3月21日
大斎節第5主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書211ページ
旧約聖書 エレミヤ書 31:31-34
詩編 51:10ー15
使徒書 ヘブライ人ヘの手紙 5:5-10
福音書 ヨハネによる福音書 12:20-33

<今週のメッセージ>
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか.『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。『父よ、御名の栄光を現してください。』」ヨハネによる福音書12:27
 悲惨な運命を受け入れる時に、わたしたちはどういう反応をするでしょうか?①そんな運命など見ないことにする。②そんな運命があることに憤る。③何とか回避できないか模索する。④嫌々ながら、受け入れていく、などなど。イエスさまは、そういうわたしたちがする反応を心の中ではしながらも、実際には全然違う対応をされていかれたのでした。やってくる運命の現実は何ら変わりません。でも、それに対するこちらの気持ちの持ちようや態度は変えられることを示してくださったのです。神様を信頼し、神様のみ心に委ねていく。苦しみも悲惨な運命も、神様と共に受け止めていくとき、苦しみは無駄なものではなくなり、神様の栄光が現され、希望さえも見えてくることを示してくださったのです。運命を使命として受け止めていくとき、悲惨な運命の悲惨さは隠れ、どうしようもない運命として受けるというよりも、これは神様にとっても自分にとっても、そして多くの人々にとっても大きな意味を持つものに変わっていくのだと信じて、それを担っていかれたのでした。わたしたちは弱く、なかなか同じようには立ち向かえないかもしれません。でも、わたしたちがイエスさまと心を繋げようとしていくときに、その大変さをわかってくださっているイエスさまが共に支え、勇気や希望を与えてくださることを信じていきたいと思います。(司祭 シモン・ペテロ 上田憲明)

17/03/2021

[My聖ルカ] ルカのオルガニスト高橋博子さんの「患者さんのためのオルガンアワー」を聞きながら眺めている風景。(KS)
#My聖ルカ

[My聖ルカ] ルカのオルガニスト高橋博子さんの「患者さんのためのオルガンアワー」を聞きながら眺めている風景。(KS)
#My聖ルカ

12/03/2021

[My聖ルカ] 礼拝堂の下にある謎の階段。(KS)
#My聖ルカ

[My聖ルカ] 礼拝堂の下にある謎の階段。(KS)
#My聖ルカ

[03/06/21]   2021年3月7日
大斎節第3主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書211ページ
旧約聖書 出エジプト記 20:1-17
詩編 19:7ー14
使徒書 ローマの信徒への手紙 7:13-25
福音書 ヨハネによる福音書 2:13-22

<今週のメッセージ>
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」「わたしは主、わたしは熱情の神である。」(出エジプト 20:2、5)
奴隷となっていたイスラエルの人々はモーセに導かれてエジプトを脱出します。その途上でかれらはシナイ山で神から十戒を授かります。彼らに与えられた十戒は「神以外の存在を礼拝しない・すなわち偶像を礼拝しない」ことを中心としたものでした。イスラエルに対する神の厳しい戒めは、その命令を彼らに要求する神はどのような存在であるかを明らかに語っています。命令の根拠はすなわち「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトから導き出した神である。」と。彼らに律法への従順を求める神は他でもない彼らイスラエルをエジプトから解放し民としての尊厳をもたらした神である、と宣告されています。ただただ命令し人々に服従(?)盲従(?)を要求するのは暴君に他ならないでしょう。しかし、ここに語られる神はイスラエルを解放し自由をもたらす神であることが語られています。そして同時にその神は「熱情の神」であると告白されています。この表現は「妬みの神」(中沢訳イザヤ59:17 嫉妬する神REB)など多様に訳されています。人々を解放し人間としての自由・尊厳を回復されようとして歴史の中で働いておられる神は静寂中に留まっておられる方ではなく、神の働きを地上に引き継ぐ「神の像」・「協働創造者」としてのわたしたち人間と共に働かれる方です。その働きの姿は、わたしたちを愛することにおいて注がれ続ける「熱情」であり、わしたちの心定まらないで右往左往する姿勢に対する激しく「嫉妬」し、「妬む」神として表現されております。エジプトの過酷な枷を打ち破り、約束の地へと解放する神・「熱情の神」の働きは、今日の福音書ヨハネ2:13以下のイエスによる「宮清め」の出来事とも関連して語られています。時はエジプトからの解放を祝う過越し祭のエルサレム。その神殿での人々の振る舞いに怒られ、激しい行動をとられています。神の正に「熱情」が示された行動でした。神の「熱情」が、古き慣習や習慣からわたしたちが決別し、新しいわたしたちを誕生させるために激しくわたしたちに注がれていることを恐れ慄きながら信じて歩んでまいりたいものです。(司祭 バルナバ 関 正勝)

03/03/2021

チャペルの方しゅろの十字架の作り方を動画で教えてくださいました。
https://youtu.be/Y7u4LADyYiw

チャペルの方しゅろの十字架の作り方を動画で教えてくださいました。
https://youtu.be/Y7u4LADyYiw

02/03/2021

[My聖ルカ] 道路から礼拝堂に上がる階段。(KS)
#My聖ルカ

[My聖ルカ] 道路から礼拝堂に上がる階段。(KS)
#My聖ルカ

28/02/2021

[My聖ルカ] 数年前「十字架の道行き」のために病院、大学、チャペルの皆さんに声かけて漢字でイエスさまの受難物語の14場面を表せていただきました。今年も展示中。(KS)
#My聖ルカ

[My聖ルカ] 数年前「十字架の道行き」のために病院、大学、チャペルの皆さんに声かけて漢字でイエスさまの受難物語の14場面を表せていただきました。今年も展示中。(KS)
#My聖ルカ

27/02/2021

[My聖ルカ]朝7時前のチャペルの中は燃えているように見えます。長年にわたる大勢の人の祈りででしょうか。(KS)
#My聖ルカ

[My聖ルカ]朝7時前のチャペルの中は燃えているように見えます。長年にわたる大勢の人の祈りででしょうか。(KS)
#My聖ルカ

[02/27/21]   2021年2月28日
大斎節第2主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書210ページ
旧約聖書 創世記 22:1-14
詩編 16
使徒書 ローマの信徒への手紙 8:31-39
福音書 マルコによる福音書 8:31-38

<今週のメッセージ>
「神は[アブラハムに]命じられた。『あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。』」(創世記22:2)
聖書全体を読めば、まことの神は人身御供を一切お望みにならないことが分かる。しかしアブラハムは、まだ神とのお付き合いは浅い。一神教、すなわち、創造主である神とその民との関わりはアブラハムとその妻サラから始まったので、関りの条件はまだ明確になっていないところもある。わが子、少年のイサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさいと主に言われたアブラハムは試されていること(創世記22:1)が分からず、話をそのまま受け入れたようだ。周りの民族の宗教の中でまさにそういう慣習だってある。主なる神もそういうお方だったのか、ときっとアブラハムはショックを受けながらも思った。彼の悲しみと落胆は想像を絶するものだったに違いない。どんな親にとってもわが子を亡くすのは、起こりうる最悪の事態である。しかも、自分の子を守るべき父親が、自分の手でその子の命を落とすように求められている。なお、ただ一人の子どもの話だけではない。以前、イサクの子孫から新しい民、神の民が現れる、と主はアブラハムらに約束なさったわけ。また、その民を通して神は全世界の救いの業を成し遂げるとも約束なさった。その同じ神が今、アブラハムにおっしゃる。すべてを手放せ、と。アブラハムはその息子、愛する独り子イサクを連れて、犠牲の山に向かって旅立つ。三日間、黙り込んで歩きながらアブラハムはきっと悲しみに打ちひしがれ、仕えてきた主について深い疑問を抱えていたであろう。すべてを自分から奪おうとするこの神を信頼するのは間違いだったのか。いいえ。間違いではなかった。ついに献げ物をささげる時が来たら、神はイサクの代わりに雄羊を備えてくださった。この恐ろしい、混乱させるような試練を通してアブラハムは自分の信仰を証明した。主を信じ切って、主が望まれるならすべてを手放す覚悟ができたのである。主なる神もご自分の慈しみを証明なさった。お命じになったことを果たせるようにすべてを備えてくださったのである。数千年後、さらに驚くべき形で、神は全世界に対して再びその慈しみを証明なさった。それは、アブラハムやどんな人間の親よりもはるか愛するご自分の独り子に対して、十字架の犠牲をお許しになった、ということである。この世を罪の支配から自由にするために。イスラエルに与えられた救いの約束を成就するために。いや、今の話は、ちょっと補足が必要。なぜかというと、何も分かっていないイサクと違って、み子イエス・キリストはすべてを理解した上で、自ら進んで十字架に磔にされたのだから。愛のゆえにキリストはすべてを手放す覚悟ができた――天の父がすぐそばにいてくださっているという意識さえも、命さえも。父が望まれるから。まことの神はわたしたちの主だから、いつでも何をも「手放しなさい」とお命じなってもいいはずだ。場合によっては、なぜそうおっしゃるか、この世では理解できない場合もあるかもしれない。しかし、神がなさることはすべて、愛のためになさるに間違いない。お命じになることは必ずわたしたちの永遠の益のため、ご自分の栄光のため、そしてご自分の素晴らしい、恵み深いご計画を実現させるためであることを確信できる。(司祭 ケビン・シーバー)

[02/12/21]   2021年2月14日
大斎節前主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書208ページ
旧約聖書 列王記上 19:9-18
詩編 27:5-11
使徒書 ペトロの手紙Ⅱ 1:16-19
福音書 マルコによる福音書 9:2-9

<今週のメッセージ>

「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」(マルコ9:7)

神の栄光に満ちた雲、すなわち、神がモーセに律法を授けられた時にシナイ山を覆ったのと同じ雲、エゼキエルが幻で見た、天の玉座を包み込んだのと同じ雲に、ビビっている弟子たちが覆われる。そして雲の中から、父なる神がイエスのご受洗の時にかけられた承認の言葉は再びこだまする。「これはわたしの愛する子。」イエスは神のみ子なのである。わたしたちと共にいて、わたしたちの弱さと苦しみを共有しながら近づくために父から派遣されたみ子、イマヌエルである。自分の創造主である神がどういうお方であるか、神秘と比類のない力のみなぎるまことの神のみ心は何であるかを知りたいのなら、単にイエスに目を向けるべきである。その言葉と行動に触れるべきである。しかし今回の山頂で、父なる神はさらにお命じになる。「これに聞け」、と。イエスは、わたしたちの弱さを共有するためだけ、また天の父と父の驚くべき愛を示すためだけに来られたわけではない。それら以外にも、この世における新しいあり方へ、思いやりと勇気と神聖に基づいた新しい生き方へ、より充実した生活へと導くためにも来られたのである。これに聞け。今週の水曜日、大斎節に入るわたしたちは改めてイエスに耳を傾け、心を開き、その導きに従ってより豊かでより素朴な生活へと進むように呼びかけられている。イエスと共に、祈りながら、断食しながら荒れ野をめぐり、生ける神に新たに出会うように求められている。世間は四方八方に誘惑する声の不協和音でいっぱい。その中で、イエスの「静かにささやく声」(列王記上19:12)が、常に正しい道、命の道に導いてくれる。(司祭 ケビン・シーバー)

09/02/2021

[My聖ルカ]冬の朝のチャペル。(KS)
#My聖ルカ

[My聖ルカ]冬の朝のチャペル。(KS)
#My聖ルカ

[01/22/21]   2021年1月24日
顕現後第3主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書205ページ
旧約聖書 エレミヤ書 3:21-4:2
詩編 130編
使徒書 コリントの信徒への手紙Ⅰ7:17-23
福音書 マルコによる福音書 1:14-20

<今週のメッセージ>
「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコ1:14-15)
本日の福音書が強調しているのは、悔い改める必要が差し迫っている、ということ。悔い改めるとは、人生で自分が歩いている方向を転換することを意味する。「時は満ち、神の国は近づいた」とイエスがおっしゃる。神の国。すなわち、神が望んでおられる世の中、神が望んでおられるわたしたちのあり方。すなわち、キリストを通しての父なる神との交わり――安心と希望と喜びをもたらす深い泉となる交わり、人生の嵐を乗り切る箱舟となる交わり、罪と死の寒い闇に向かって静かに燃え続ける炉床のような交わり。すなわち、人生に方向性と目的を与える、より重要でより輝かしい大義に尽くす使命。そういった神の国、神の憐れみと恵みが軸となる領域が近づいた。そして、神の国に入るチャンスは今だ、とイエスは言われる。しかし、駅で待機している車両の扉のように、チャンスがいつまでもあると考えるのは間違い。イエスがシモンとアンデレ、そしてヤコブとヨハネをお呼びになり、「わたしに従いなさい」と言われた。こう呼ばれた彼らは躊躇しない。今、目の前に与えられている機会を把握する心の準備ができていたみたい。この機会を逃したら、ずっと後悔するだろうと直感して、すべてを手放せた。神の国への招きはそれほど大事なことである。不可欠だと思うものでさえ手放す価値がある。クリスチャンは、この世の仕事を続けるとしても、それぞれ置かれた状況の中でイエスが宣言された神の国に仕えるように召されている。この召命は惜しみない献身を要する。そして永遠の喜びを約束する。(司祭 ケビン・シーバー)

10/01/2021

[My聖ルカ]入院患者さんの洗礼準備、完了。(KS)
#My聖ルカ

[01/08/21]   2021年1月10日
顕現後第1主日・主イエス洗礼の日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書204ページ
旧約聖書 イザヤ書 42:1-9
詩編 89:19-29
使徒書 使徒言行録 10:34-38
福音書 マルコによる福音書 1:7-11

<今週のメッセージ>
「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のようにご自分に降って来るのを、ご覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた」(マルコ1:10-11)
先日、聖歌391番(いともとうとき主はあもりて)を歌った後、この「あもりて」が話題になった。ググったら、「あもる」(天降る)は天から下界へ降りるという意味で、天皇が宮殿からお出かけになるときにも使われる単語だと分かった。だから、み子が天の宮殿からわたしたちの下界にお出かけになったということ。しかし、天皇や王や国家元首などが宮殿を出る際、通常、側近に囲まれ、贅沢な交通手段で移動し、あらゆるニーズは迅速に満たされ、すべての動きは見物人に見られる。一方では、子なる神は何人かの羊飼いを除いて全世界に気づかれずにこの世に降りて、寒くて汚い家畜小屋にて裸の弱々しい赤ん坊としてお生まれになった。み子は、わたしたちの人性を完全に共有し、同じ空気を吸って、同じ地面を踏むために、天国で味わえた栄光と力をすべて脇に置かれた。わたしたちの弱さとちっぽけさの奥まで降りて来られた。そしてとうとう、十字架の暗黒の時間に、神から人を引き離すわたしたちの罪深さの奥まで降りて来られた。神がイザヤを通して言われたのはそういうことだった。「主であるわたしはあなたを民の契約として立てた」(イザヤ42:6)。当時、契約は律法に定められ、動物の生け贄に基づくものだった。だから、選ばれた僕についてのこの言葉、「あなたを民の契約として立てた」とは、「罪人を自分と和解させるための生け贄としてあなたを供えたのだ」という意味になる。み子が天の宮殿から降りられたのは、死ぬためだった。しかも、それは自ら進んでお引き受けになった使命だった。最期の晩餐でキリストがその友人たちにパンとぶどう酒を配った時、すべてをご承知の上だった。「皆この杯から飲みなさい。*これ*は罪の赦しを得させるようにと、あなたがたおよび多くの人のために流すわたしの新しい契約の血です」、と。*これ*は、ゲッセマネの園の悲嘆や恐怖から、停止していた心臓が兵士の槍で突き刺されるまでのことを意味する。*これ*は、新しい契約の基礎である。*これ*は、弱くて迷子になった者が天の父の家に帰り、赦され、清められる道となる。*これ*は、神の愛を知らない人のためのともし火であり、この世の偽りに悩まされている人のための知恵であり、罪と絶望に束縛されている人のための自由である。「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び/あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として/あなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き/捕らわれ人をその枷から/闇に住む人をその牢獄から救い出すために」(イザヤ42:6-7)。み子は自ら進んで死ぬために降りて来られた。御父はみ子を手放すことを躊躇なさらなかっただろうか。「あなたはわたしの愛する子」(マルコ1:11)。人間の父親はわが子を愛し、苦しむのを見ていられない。なおさら、父なる神の愛は宇宙全体を存在させるほど絶大なものだから、み子が自らの命を払うことを条件とする救いの使命を引き受けさせるのはとても辛いことではなかっただろうか。「天が裂けた」という箇所には、神が父親として前に行かさなければならないわが子にもう一度近づこうという切実さを見出せないだろうか。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉には、チアリーダーの応援のエールというよりも、これから先のことを考え、わが子を必死に勇気付けようとしている父の不安を聞こえないだろうか。(司祭 ケビン・シーバー)

08/01/2021

[My聖ルカ]看護学生が集えない今学年、代わりに「チャペルタイム礼拝」動画を毎週学期中配信しています。今日は撮影の最終回。来学期は、現場で会えることを切に望む次第です。(KS)
#My聖ルカ

08/01/2021

ケビン司祭が書いた本は2月に出版される予定です。予約特典の締め切りは1月15日となっています。興味のある方は紹介ページをご覧ください。
http://3-ba.com/book/aisuru_luke/aisuru_luke.html

26/12/2020

[My聖ルカ]お正月を病院で迎えないとならない方々のためにお祈りします。(KS)
#My聖ルカ

25/12/2020

[My聖ルカ]コロナ禍で病棟でイブのキャロリング(クリスマス聖歌奉唱)どころか面会自体が厳しく制限されています。なので今年は聖歌隊が旧館前の芝生で集い、歌ってくれました。キャロリングは本来、家々を訪ねて賛美歌を歌うというしきたりだし、昔は聖歌隊が築地を回って歌う時代もずっとあったようだから、ある意味、屋外は自然な形。(KS)
#My聖ルカ

25/12/2020

[My聖ルカ]ある患者さんの寄付により、今年からトイスラーホールにクリスマスツリーを設置できました。オーナメントは、教職員がそれぞれの部署やお家から持ってきていただいたものです。患者さんが献品してくださった、ドイツのクリスマスマーケットのオーナメントもあるようです。聖路加コミュニティ全体を現しています。(KS)
#My聖ルカ

reserva.be 20/12/2020

2020年 聖ルカ礼拝堂クリスマス礼拝予約

お知らせ

東京教区主教の指示に従い、聖ルカ礼拝堂における公祷(礼拝・集会)は12月27日(日)より休止いたします。大変申し訳ございません。

なお、クリスマス関係の礼拝(24日・25日)は、感染予防対策を取った上、執り行う予定です。人数制限がかかっていますので、事前予約を次のウェブサイトでお願いします。
https://reserva.be/stlukeschristmas2020

但し、国・東京都のさらなる方針が宣言されるなどの事情により、これらの礼拝も中止となる場合もございますので、ご確認の上お越しください。

reserva.be 感染予防対策として、今年のクリスマス諸礼拝は会場の人数制限を定め、予約をお願いしております。ご理解とご協力、よろしくお願い申し上げます。

[12/18/20]   2020年12月20日
降臨節第4主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書201ページ
旧約聖書 サムエル記下 7:4,8-16
詩編 132:8-14
使徒書 ローマの信徒への手紙 16:25-27
福音書 ルカによる福音書 1:26-38

<今週のメッセージ>
「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』」ルカによる福音書1:38
この少女の言葉は、よく「従順さの鑑」のように言われるのですが、現実をよく想像してみると、そういう言葉では足りないのではないかと思います。誰の子か分からない子を妊娠し生むのは、下手をすると死刑につながるほど重く、それを上手く逃れられたとしても、後々までその女性は後ろ指を指されるような人生を送ることになるのですから。イエスさま自身も活動がみんなに認められ始めた時には、よく知っている人たちから、「あの人はマリアの私生児じゃないか」と悪口を言われているほどなのです。(マルコ6:3)マリアさんのイエスさまへの一番大きな影響は、「お言葉どおり」という言葉に表れているように、「神さまに信頼すること」なのではないかと思います。それは、イエスさまにとって一番大きな危機とも言える場面で見受けられます。十字架にかけられる前にイエスさまがゲッセマネでお祈りされた時に、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ14:36)という祈りに至られたのは、まさに、マリアさんの「お言葉どおりに」という信頼の言葉に呼応しているように思えるのです。(司祭 シモン・ペテロ 上田憲明)

18/12/2020

[My聖ルカ]今宵、教職員のクリスマス礼拝のライブストリーム(非公開)。十字架、トーチを持ってくれる職員はとても早く来て着替えました。緊張かな?それともコスプレ気分?両方、きっと。(KS)
#My聖ルカ

15/12/2020

先日チャペルで録画した「メサイヤをうたおう」
https://youtu.be/AW1Io2rmykw

[12/11/20]   2020年12月13日
降臨節第3主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書200ページ
旧約聖書 イザヤ書 65:17-25
詩編 第126編
使徒書 テサロニケの信徒へのの手紙Ⅰ5:16-28
福音書 ヨハネによる福音書 1:6-8、19-28

<今週のメッセージ>
「ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。『わたしは荒れ野で叫ぶ声である。「主の道をまっすぐにせよ」と。』」(ヨハネ1:23)
洗礼者ヨハネの役割は救い主の到来の準備をすること。世界の舞台に待望のメシアが登場する道を整えること。ヨハネは、極端にシンプルな生活を送る。「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜しか食べなかった」、と描かれる(マルコ1:6)。後に、イエスはヨハネを「しなやかな服を着た人」や「王宮に住んでいる人」と対比させる(マタイ11:8)。神に与えられた自分のミッションに意識を集中しているから、余計なことは一切いらない。だから、デパートのクリスマスディスプレイには洗礼者ヨハネの人形が置かれることはおそらくない。なぜかというとヨハネは、欧米から日本や世界中にウイルスのように広がった、贅沢で表面的で消費型のクリスマスとは正反対の存在であるから。救い主を改めて迎えようとしているわたしたちにもヨハネはよりシンプルで、より質素で、より深く意味のある生活へと呼びかける。降臨節は、わたしたちの霊的な貧しさと神さまの恵みの必要性をもう一度確かめる時期である。そもそもクリスマスの意味は、聖パウロが書いたように、「わたしたちの主イエス・キリストは豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだった」(Ⅱコリント8:9)。(司祭 ケビン・シーバー)

reserva.be 06/12/2020

2020年 聖ルカ礼拝堂クリスマス礼拝予約

クリスマス礼拝の予約のお知らせ
※教区サーバーの問題発生によりチャペルのHPは文字化け状態となっています。大変申し訳ございません。
今年は新型肺炎感染予防のため、クリスマス関連の礼拝は原則として予約制となります。次のURLにある予約サイトをご利用ください。なお、定員に達した時点で受付を終了させていただきます。ご了承ください。
https://reserva.be/stlukeschristmas2020

reserva.be 感染予防対策として、今年のクリスマス諸礼拝は会場の人数制限を定め、予約をお願いしております。ご理解とご協力、よろしくお願い申し上げます。

[12/04/20]   お知らせ
ただ今、チャペルのスマホ版ホームページでは文字化けが発生しております。業者に対応をお願いしておりますが、少し時間がかかるかもしれません。大変申し訳ございません。復旧でき次第、改めてお知らせいたします。

[12/04/20]   2020年12月6日
降臨節第2主日(B年)
<聖書日課>
特祷 祈祷書200ページ
旧約聖書 イザヤ書 40:1-11
詩編 第85編7-13
使徒書 ペトロの手紙Ⅱ3:8-15a,18
福音書 マルコによる福音書 1:1-8

<今週のメッセージ>
「主のために、荒れ野に道を整え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(イザヤ書40:3)
コロナ禍で自粛モードの下で季節感が失われてしまったような一年を過ごしているうちに教会は新しい一年の始まりの時を迎えてしまいました。降臨節のテ-マは幼子イエスの誕生をわたしたち一人ひとりの日常の中に迎えるために「目を覚ましていなさい」と呼びかけています。メシア到来の先駆けである洗礼者ヨハネは「荒れ野」で「らくだの毛衣を着、腰に革の帯をしめ」る姿で人々に悔い改めを迫っています。このような行動で彼は人々の悔い改め・神に立ち返らなければならない真実の在り様を示したのでした。彼はわたしたちの裸の姿に目覚めること、それは他でもない救いを必要とし、救い主を待ち望む者の真実を顕わにしています。あなたの住んでいる世界は一見整えられていて、快適に思えるが、実は人間の住んでいない「荒れ野」・自己完結し自己満足して何も望んだり、願ったりする必要がないかのように見えるが、実は救いを必要としている存在に他ならないわたしを降臨節は顕わにします。幼子イエスの誕生をわたしたち自身の日々に迎え入れることが求められています。この時を「目を覚まして」生活する者でありたい。(司祭 バルナバ 関 正勝)

04/12/2020

[My聖ルカ]寒い冬の朝。(KS)
#My聖ルカ

01/12/2020

聖ルカ礼拝堂のチャプレン、ケビン司祭はルカによる福音書の解説書を出版しました。ご関心のある方は出版社のサイトをご覧ください。
http://3-ba.com/book/aisuru_luke/aisuru_luke.html

[12/01/20]   すでに日本ナンバーワンとランクされた聖路加国際病院は今日、「特定機能病院」として厚生労働大臣に承認された。おめでとうございます!

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【My聖ルカ】新型コロナへの対応を続ける医師や看護師に敬意を示すため、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」6機が29日、東京都心を飛行しました。聖路加国際大学の庭から撮影しました!聖路加のスタッフのみなさん、ありがとうござ...

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